過失相殺とは、被害者側にも一定の落ち度(過失)が認められる場合に、被害者の損害賠償額をその過失割合分だけ減額させることをいいます(民法第722条第2項)。
例えば、被害者の損害額が100万円だとしても、事故の発生に関して、被害者も20%の過失があれば、加害者に対して請求できる金額は80万円となります。
被害者にとってみれば、「加害者の方が悪いんだから、自分に『過失』があるというのはおかしい!なぜ減額されるんだ!?」と思われるかもしれません。
しかし、相対的に加害者の過失の方が大きくても、だからといって、加害者の過失が100で、被害者の過失がゼロということにはなりません。あくまでも具体的な過失割合に応じて損害額は決定されます。
なお、自転車同士の事故で、双方の自動車が動いている際に発生した事故の場合には、事案にもよりますが、被害者側にも一定の過失が認められることが多いと思います。これは、自転車はとても便利な乗り物で、自転車の利用者は皆この便益を享受していますが、交通事故が発生しこれよって何らかの損害が生じた場合にも、一方にだけ負担させるのではなく、できるだけ双方に公平に負担させようという発想(この理念を「損害の公平な負担」といいます。)が背景にあるからです。
裁判になって、被害者にどれくらいの過失があったかという判断は、裁判所の自由裁量に任されており、裁判所がこの裁量権の範囲を逸脱した判断でもしない限り、違法にはなりません。
しかし、係属した裁判所によって過失相殺の判断が区々になるのは非常に困ります。そこで、過去の交通事故裁判で集積されてきた裁判例をもとに、どのようなケースではどの程度の過失割合になるのかという、事故類型毎の一般的・客観的な基準が必要となります。
自動車事故の場合、東京地裁がこれを基準化し公表しています。最新のものは「民事交通訴訟における過失相殺率の認定基準全訂5版」(東京地裁民事交通訴訟研究会編)です。これが交通事故の保険実務・裁判実務で最も多く利用されて、このような基準があることで迅速・公平な判断が可能となっています。
しかし、自転車事故の場合には、過失割合の判断基準となるものが裁判所から公表されているわけではありません。自転車事故の増加とともに、判断基準の必要性は高まっていますが、現時点では、一部の弁護士が過去の裁判例をもとに、判断基準を分析しているにとどまります。
なお、自転車事故も、自動車事故の場合と同様の判断基準を使用すればよいようにも思いますが、自転車は、自動車とは適用される交通法規が異なり、また、自動車に比べて自転車は交通法規が厳密には遵守されていないという現実があり(交通法規の不遵守を許容する趣旨ではありません)、自動車事故とは自ずと判断基準が異なってきます。
自転車事故の場合も、自動車事故と同様に、実際に起きる事故はそれぞれ全く異なり、基準に当てはめればすぐに答え(過失割合)がわかるというほど単純ではありません。上記の基準・裁判例は、大枠の判断枠組みとして有用ですが、個別の事故ごとの特徴や特殊性を踏まえて、最終的な過失割合が決定される必要があります。