被害者に、事故態様に関して落ち度(過失)といえるものがなくても、被害者自身の事情(「素因」といいます)によって、損害が発生したり拡大したりする場合があり得ます(具体例については後述のとおりです)。この場合、損害の公平な負担を実現するという過失相殺制度と同様の発想から、損害額が減額されることがあります。これを「素因減額」といい、過失相殺の規定(民法722条第2項)が類推適用されます。
素因減額は、一般的に、被害者の精神的傾向である「心因的要因」による減額と「身体的要因」による減額に分類されています。もっとも、「心因的要因」と「身体的要因」に分類することはできても、個別の素因を類型化し減額の割合を基準化することは困難ですので、それぞれの事案ごとに減額割合を考える必要があります。
交通事故は1つとして同じものはありませんが、医学的観点からすれば、「だいたいこれくらいの怪我なら治療期間はこれくらい」という相場感的なものがあります。医学的な統計・論文でも、例えば、むち打ち症などは、通常は遅くとも6か月で症状固定に至ると考えられています(保険実務・裁判実務でもそうです)。
しかし、医学的に見て症状固定に至っていると考えられても、被害者がかなり長期にわたって治療を継続しており、その原因が、被害者の特異な性格や回復への自発的意欲の欠如等によるものである場合がありますし、そのような心理的な要因に起因して神経症を発症する場合もあります。このような場合には、一定割合で素因減額がなされることがあります。
実際、交通事故に遭う前から鬱病等の治療で心療内科に継続的に通院していて、事故によって鬱病が再発ないし悪化した場合などには、加害者側の保険会社は、素因減額を主張してくることがあります。
事故前から被害者に既往症があり、これが交通事故と相まって症状を発生ないし拡大させた場合にも、素因減額が認められることがあります。仮にその既往症が被害者の落ち度によって生じたものでなかったとしても、加害者に損害の全部を負担させるのは公平ではないと考えられることから、この場合でも素因減額がされることはあり得ます。
なお、身体的特徴がある場合でも、これが「疾患」といえるレベルのものでなければ、素因減額の対象とすべきではありません。最高裁も、被害者の首が長くこれに伴う多少の頸椎不安定症がある事案で、首が長いという身体的特徴は疾患ではなく、またその身体的特徴が被害者の損害の拡大に寄与していたとしても、損害賠償額を定めるにあたり斟酌するのは相当ではないと判断しています(最高裁平成8年10月29日判決。「首長事件」と呼ばれる有名な事件です)。